自分と同じ年月を歩んできたカメラ。こう聞くだけで震えませんか?会いたくなりませんか?
発端はこちらのツイート。
なんかの記念に自分とおなじ年のカメラを使おうかなって思ったりします。 https://t.co/QcN1tYolx2
— かめらと。 (@camera10me) 2015, 5月 16
自分と同い年のカメラを探してみました。
私は1980年生まれなので、ついでに1980年代に発売されたカメラもまとめておきますね。同年代の方は要チェックです。
※私がキヤノンユーザーなのでキヤノン多めです。
1980年代のカメラ事情
主流はフィルム式カメラ
今、一眼レフカメラと呼ばれるものの多くは「デジタル一眼レフカメラ」です。量販店でもわざわざデジタルとは書かれているところは少なく感じます。
しかしデジタル一眼レフカメラが一般市場に登場したのは1990年代。1980年代の主流はフィルム一眼レフカメラでした。
電子化・自動化・多機能化が進んだ時代
今では当たり前になったAE機能(自動露出:明るさによってシャッター速度や絞りなどをカメラが自動で計算する)が、最初に登場したのは60年代。
そこからシャッター速度優先AEや絞り優先AEなど様々なAE機能を搭載し始めた70年代。また70年代にはコンパクトデジタルカメラにAF機能(オートフォーカス:自動でピントを合わせる)が登場し始めました。
80年代はその流れをさらに進化させ、電子化・自動化・多機能化を進めた時代といえるでしょう。
1980年代発売のカメラ一覧
と、堅い話はこれぐらいにして、いろんなカメラを調べてきました。詳しいわけじゃないので、メーカー・機種名・発売開始年を書いて、登場順に並べておきますね。
ニコン F3(1980年)
ニコンのF一桁機として初めて初めて電子制御式シャッター・絞り優先AEを搭載。電池が切れたとき用に1/60秒の機械制御式シャッターを残しているあたりがにくいです。
フィルムの巻上げは手動。別売りのモータードライブをつけると自動巻上げも可。
2000年まで20年間販売が続けられたロングセラー商品になりました。あめたまの生まれ年カメラはこの子です。
キヤノン New F-1(1981年)
71年にキヤノンが投入したフラッグシップ機F-1の後継機。フラッグシップ機は10年は新しいの出さない!と宣言し、ちょうど10年後に登場。
機種名では頭に「New」の文字が書かれていますが、本体に「New」の記載はありません。謎。
キヤノンも電池が切れて使えないカメラは役に立たないだろ!と、電子制御式シャッターと機会制御式シャッターのハイブリッドになっています。
キヤノン AL-1(1982年)
キヤノンAシリーズ最後の機種。コントラスト方式のフォーカスエイド機能を組み込んだことで話題に。
フォーカスエイド機能というのは、ピントが合ったときにそれをお知らせしてくれる便利機能。これまでマニュアルフォーカスでピント合わせをするには、ファインダーを覗く自分の目に頼るしかなかったけど、これによって初心者でもピントが合わせやすくなりました。
キヤノン T50(1983年)
誰でも簡単に撮れる一眼レフカメラをコンセプトとした挑戦的な1台。グッドデザイン賞を受賞。
どの辺が挑戦的かというと、一眼レフカメラの多機能化という流れに逆らい、機能を大幅に制限したこと。
誰でも簡単というコンセプトのために、プログラムAEのみ。露出はすべてカメラ任せ。自分で決めることができません。確かに簡単ですけど…。
あと見た目がプラスチックで安っぽい。その分軽くなっているようですが、この辺は好みがわかれるところかも。
ニコン FA(1983年)
ニコン初のシャッター速度優先AEを搭載。世界で始めてマルチパターン測光を採用したことで話題になった模様。
キヤノン T70(1984年)
T50で誰でも簡単に撮れる一眼レフカメラを目指したキヤノンのTシリーズ第2弾。
フィルムの巻き上げレバーと巻き戻しクランクが消えます。大型液晶が搭載されます。ボタンが減ります。初心者向けにどうしたら一眼レフカメラが普及するか考えた結果なんでしょう。
ミノルタ α-7000(1985年)
一眼レフカメラの革命機。このカメラの登場は市場を震わせ「αショック」という言葉を生んだほど。
何がすごいかっていうと、AF(オートフォーカス)機能の性能。それまでAF機は実験的な意味合いが強く、ピントが合うまでに時間がかかったり、超重かったり。何よりもAF対応のレンズがほとんどないっていう状況。
それを一新したのがミノルタα-7000。AF用にレンズシステムを刷新し、13本のAF対応レンズを引っさげて登場。
素人がマニュアルでピントを合わせるよりも早く正確にピントを合わせてくれるAFが登場したということで、このカメラが実質的な世界初のオートフォーカス一眼レフカメラと呼ばれています。
α-7000登場の半年後、フラッグシップ機α-9000が登場。プロもAFを使える時代の突入です。
キヤノン T80(1985年)
αショックの犠牲者ともいうべきカメラ。
キヤノン初のAF搭載一眼レフカメラ。でも直前(2ヶ月前)に登場したα-7000が強力すぎました。AF性能はα-7000の方が断然上だったので、キヤノンは売上もプライドもズタボロにされます。
キヤノン T90(1986年)
Tシリーズ最上位機種。
T80で売り文句にしたかったAF機能がミノルタにボロ負けしてしまい、T80の上位機種であるT90ではなんとAF機能が削られます。
記者発表の際に「AF以外はなんでもあります。」と言わざるを得ない状況に追い込まれるほど。
ただし、AF機能以外はさすがのキヤノン。最上位機種を名乗るだけあり、当時は実現不可能だろうと思われたレベルのスペックに仕上がっています。
ニコン F-501(1986年)
ニコン初(※)のAF搭載一眼レフカメラ。αショックはもちろんニコンにも影響を与えました。
ミノルタのα-7000が革新的だったのは、AF機能のためにレンズマウントを変更し、AF対応レンズを一気にリリースしたこと。ニコンもきっと同じことがしたかったと思います。
でも、ニコンはやらなかった。今までのユーザーを切り捨てるのは違うんじゃないか?と、今までと同じFマウントを使用し、新たにAF対応レンズをリリースしていきます。
これすごいことですよ。ニコンのカメラに対する情熱、ユーザーに対する情熱を感じます。
結果的に同じFマウントなのに微妙に機能が使えなかったりして、初心者にはとっつきにくい環境を作るんですけどね。
(※)厳密にはF3AFがあるけど。レンズ群も合わせて本格的にAFに寄せたのはここからだと思うので、こっちを初と書いています。
キヤノン EOS 650(1987年)
お待たせしました。キヤノンだってAFやります!キヤノンの威信を賭けて!社運を賭けて!
αショックでめちゃくちゃ打ちのめされたキヤノンですが、さすがに負けっぱなしというわけにはいきません。1987年、キヤノン創立50周年のタイミングでAF搭載機を登場させます。
このAF機能、さすがはキヤノン…。技術力の高さを見せ付ける結果になったんですけど、大きな犠牲を払います。
レンズマウントの刷新です。
それまでのFDマウントからEFマウントに切り替わり、それまでのレンズは一切使えなくなります。そりゃ、既存ユーザー怒りますよ…。前年、ニコンがレンズマウントを継承してAF機能を搭載しただけに、これは当時のキヤノンユーザーにとって裏切りとなり、深い溝が生まれたとか生まれなかったとか。
ニコン F4(1988年)
F3から8年。F機初のAE機として登場。
96年にF5の登場とほぼ同時期に生産終了。F3と比較すると短命で終わったかわいそうな子。重すぎたのかな。
※これまでのニコンのフラッグシップ機は700g前後なのに対し、F4は1kgオーバー。もちろん本体のみ。
キヤノン EOS-1(1989年)
80年代最後を締めくくるのはEOSシリーズの最上位モデル。EOS650で作り上げたEFレンズ群を引っさげ、満を持して登場した、AF搭載フラッグシップ機です。
EOS650に搭載されたAF機能をさらに進化させ、抜群に早いだけでなく動体予測がついたAIサーボ機能は高く評価されます。結果、早い動きを撮るプロスポーツカメラマンの間でキヤノンが徐々にシェアを伸ばしていくことになるのです。
今回のまとめ
ほぼキヤノンとニコンになっちゃいました。
それにしても調べてて面白かったです。各社いろんなことに挑戦し、時には迷走し、今の形になったんだなぁと感慨深いものがあります。
文中でも書きましたが、キヤノンはEOSの登場でそれまでとレンズのマウント方式が変わります。それはつまり今までのレンズ資産がムダになってしまうということ。
これに対し、ニコンはそれまでのレンズを捨てなくてもいいように、既存のユーザーを大事にしたいという姿勢が既存ユーザーを深く惹きつけることになります。
また同じAF機能でも両者の考え方には違いがあります。
キヤノンは「少しぐらいピントが甘くたって、シャッターチャンスを逃したら意味がないだろう!」と考えるのに対し、ニコンは「ピントが甘かったら写真としてはダメだよね?遅くてもきっちり合わないと。」という考え。
実際にこう考えているという公式の文献が見つかったわけではないですが、的を射ているなぁと感じます。
ちょっとまとめもダラダラ長くなりましたが、私の生まれ年カメラは「ニコン F3」でした。中古で見つけたら買ってしまいそうで怖いです。あなたの生まれ年カメラは見つかりましたか?
それではステキなカメラライフを!あめたま(@ametama_l2l)でした。